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Vol.19

モンゴル訪問―提携学園の創立記念を祝う―

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―強い向学心、日本式教育に関心―

<「小中高一貫」の学園>
9月6日から11日まで学園を離れ、モンゴルに行ってきました。本学園と1年半前、包括連携協定を結んだエルデミーンエフレル学校(以下エフレル学校)の創立記念式典に出席するためでした。同学校では日本の小・中・高等学校に当たる12学年の子どもたちが学んでいます。創立からわずか5年にもかかわらず、モンゴルでは有数の学力と進学実績を有し、遠く離れたウランバートルからも学びにやってくるほどになったそうです。

ウランバートルから1300キロほど離れたオランゴム市にあるエルデミーンエフレル学校の校舎

モンゴルは平均年齢が28歳と若く、首都・ウランバートルなど街には子どもがあふれていました。その分、公立学校の整備が追い付かず、ウランバートルでは午前と午後で子どもたちが交代する2部制でも間に合わず、「3部制を取らざるを得なくなっている」と教育関係者は言います。一方エフレル学校のような私学は教育環境を整え、「日本式教育」を売りにして教育熱心な家庭の子どもたちを集めています。

<天皇陛下も私立学校を視察>
7月にモンゴルを公式訪問された天皇陛下も日本式教育を取り入れた私立学校「新モンゴル学園」を視察されました。この学園は幼稚園から大学まで4500人余が学ぶ総合学園で制服や給食、部活動など日本式教育を取り入れ、日本語教育にも力を入れて、日本へ多くの留学生を送り込んでいます。元横綱・日馬富士はこの学園と提携して「新モンゴル日馬富士学園」を開校しており、私たちがウランバートルのチンギスハン空港から市街地に向かう途中に立派な校舎と看板を見ることができました。

<パートナーは新大大学院卒>
新モンゴル学園は、日本政府の奨学金を受けてお隣の山形大学に留学したモンゴル人男性が2000年に設立した私立高校が始まりとお聞きしました。四半世紀で大発展したことになります。
一方、本学園と2023年12月に協定を結んだエフレル学校の創設者であり理事長のバヤンサン・バーサンジャブさん(39)は新潟大学大学院修士課程の技術経営研究科で2016年から学ばれた方です。この時、本学園の職員で現在、経営企画課長を務める大場純慈さんも同じ課程で学んでいました。大場さんの話によると当時から「モンゴル発展のため、ふるさとに学校をつくりたい」と夢を語っていたそうです。

エフレル学校の校門の前に立つバヤンサンさん

<5年前に小中校一貫の学校を創設>
バヤンサンさんは大学院を終えた後、聖籠町で設立した車関係の会社の経営と併せて開学準備を進め、5年前に出生地のオランゴムで小中高一貫の学校を創設しました。「当時は無我夢中で開校式もやらなかった。学校も順調に伸びてきたので新学年の始まるこの時期に創立5周年式典と開校式を合わせてやることにした」とバヤンサンさんは言います。
オランゴムはモンゴル北西部にあるオブス県の県都でウランバートルから1300キロほどに位置し、「もう100キロほど行くとロシアになる場所」だそうです。地理的に不利な場所にありながらバヤンサンさんの教育理念と地域人脈もあってか、初年度で12学年に89人が入学しました。2年目は生徒たちが一気に280人を超えたため、校舎が手狭になり新校舎を建設しました。5年で生徒たちは400人ほどになったそうです。

モンゴル・オブス県の地図。オブス県はモンゴルの北西部に位置している。
●がエフレル学校のあるオランゴム市。○はウランバートル市。モンゴル中心部にある

<修学旅行で本学園へ、留学生も3人>
バヤンサンさんは聖籠町に会社があり、家族も新潟市に住まわれていて、本人はモンゴルと日本を忙しく行き来しています。何度か歓談するうちに彼の人間性の素晴らしさに触れ、本格的な学園交流を考えるようになりました。それが1年半前の包括連携協定として実を結び、昨年と今年の1月にはオランゴムから日本へ修学旅行に来てくれることになりました。2回とも本学園を訪問し、生徒・学生と交流する仲になりました。エフレル学校では小さい時から英語、中学段階からは日本語を教えているので、交流は青陵の生徒にとっても大きな刺激となりました。
さらに「青陵学園に留学」の話も進んで、今年度には同学校から青陵大学看護学部に1人、青陵高校に2人、計3人の女子留学生がやってきました。本学園ではこのところ留学生がいなくなっていましたので、彼女たちが「青陵の国際化の扉」を再び開けてくれることになったのです。

<「青陵チーム」を結成>
そんな経緯を辿ってきたので、今回のエフレル学校の開校式・記念式典に私も喜んで参加することにしました。「日本式教育をアピールする機会にもしよう」と考え、エフレル学校で日本語を学んでいる子どもたちを対象に「日本語での授業」を計画。新潟市の白山小学校長を務めた後、退職して日本語教師の資格を取られた高橋昌利さんに応援をお願いし、県の補助もいただけることになりました。ほかに高校でモンゴル留学生も教えている小熊幸司・教頭補佐、さらに海外渡航経験が豊富な法人事務局の中村芳郎・統括次長と4人チームを結成しました。

<草原の道を車で6時間弱>
出発までの話が長くなってしまいました。6日、いよいよモンゴルへ出発です。新潟空港から韓国インチョン空港へ飛び、モンゴル・ウランバートルのチンギスハン空港にトランジット。ウランバートルで1泊の後、7日にエフレル学校のあるオランゴムに向け飛び立ちます。しかし、オランゴムとウランバートルは週に2日しか空路が結ばれていないため、オランゴムに近いホブド空港に着いて、そこから車で草原と砂地を300キロほど走り、オランゴムに着く旅程です。
2時間ちょっとのフライトでホブド空港に着くと、記念式典の準備でお忙しい中、バヤンサンさんらが2台の車で待っていてくれました。「ここからの舗装道路はすぐなくなります。あとは何もない草原をただただ走ります」とバヤンサンさんが柔らかな笑顔で語ります。こちらも笑顔を返しましたが、不安は拭えません。
結果は6時間弱の草原ドライブとなりました。これらの旅程などについては別途、「理事長の青空リポート」にでも報告することにし、先を急ぎます。

飛行機内から見たモンゴルの風景。砂と岩の大地が広がっています

<オランゴムは2万人の町>
8日、いよいよ式典の日です。エフレル学校を訪問する前にバヤンサンさんが朝、オランゴムの町を案内してくれました。オランゴムは人口約2万人。車で町の中心部を見て回るのに20分もかかりません。エフレル学校創設時の校舎も残っていました。エフレル学校は町のやや外れにありました。学校建設の際、国や地方自治体からの補助・支援はまったくないそうです。「私もまだ借金が残っています。早く返さないとね。モンゴルは金利が高いから」とバヤンサンさん。一方では学校の新校舎ができた後、マンションなどの建設が始まり、地域から感謝されているようです。

オランゴム市にあるエフレル学校に集うバヤンサンさんと生徒たち

<4コマ漫画をネタに日本語授業>

エフレル学校の校舎は3階建て。12学年の教室を見せてもらいましたが、いずれも授業中。モンゴル人教師のほか、2人のフィリピン人教師が英語などを教えており、IT機器を使った授業も見学しました。バヤンサンさんはやる気のある20~30代の教員を積極的にスカウトし、昨年から学長に女性の校長経験者を据えました。「学園運営は安定化し、評価もさらに上がってきました。ウランバートルからこちらに移ってきた生徒が出てきたのは評価の証と思います」と自負を語っていました。

この時間帯で高橋先生の「日本語授業デモンストレーション」を披露しました。高橋さんは「日本の漫画アニメ」をテーマとし、特に「4コマ漫画」を教材として用意していました。日本語や日本文化に関心を持つ生徒ら30人近くを前にしての授業は反応も上々でした。漫画アニメはやはり重要な日本文化のコンテンツであり、国際交流のツールでもあるようです。

<地域挙げての記念式典>
正午からは開校式典です。校舎前に会場がセットされ、100人ほどの来賓や地域の方が集まり、お祭りムードです。また、バヤンサンさんの同級生の多彩さにも驚かされました。ひと際、存在感を発揮していたのはモンゴル相撲の横綱であり世界アマ相撲大会のチャンピオンにもなったバドゥソーリさんで、記念写真をねだる市民が数多くいました。
式典での進行役もプロ司会者である同級生です。声を張り上げて式典を盛り上げ、バヤンサンさんが気持ちの籠った挨拶。地域への感謝を多く述べていたそうです。私も含め10人以上でテープカットをした後、風船を飛ばし、改めて開校を祝いました。

テープカットする学園関係者たち

<新潟市と青陵学園を紹介>
次いでオランゴムのシティホールに場所を移しての創立記念式典です。ここでは式辞などの後、私が新潟県・市の概要を説明し、青陵学園とエフレル学校の縁などについて20分ほど報告しました。3人のモンゴル留学生の様子も紹介し、「日本に関心がある皆さんは是非、3人に続いて青陵学園で学んでほしい」と呼びかけました。
また、モンゴルは北朝鮮に拉致された横田めぐみさんのご両親と孫娘のヘギョンさんが再会を果たした土地でもあります。それはモンゴルが「環日本海地域」である日本、中国東北部、ロシア極東、韓国、北朝鮮のすべてと良好の関係にあるから実現したものであり、再会の労を取ってくれたモンゴルへの感謝を申し上げました。

記念式典で青陵学園を紹介する筆者

<大祝賀会は延々6時間>
夜はホテルを会場に大祝賀会です。ここでもバヤンサンさんの人脈の広さが印象的でした。参加したオランゴム市長も同級生で、オブス県からも副知事らが出席し、参加者は330人ほどでした。エフレル学校から学園運営などに協力してくれた方や団体・教職員らに数十枚の感謝状が贈られました。青陵学園も2枚の感謝状をいただきました。
この感謝状にはエフレル学校の教育方針が書かれていました。素晴らしい内容と思うので紹介しておきます。

 ―学校方針―
   学びやすい教育環境を整え、教師の成長を支え、健やかな身体を育み、
   モンゴルの伝統文化を大切にし、創造的な思考と正しい姿勢を備え、
   自立した世界のモンゴル人を育成する。

また、参加者からもエフレル学校への感謝の言葉や記念品が贈られましたが、驚くのはモンゴルの方がそろって挨拶がうまいことでした。メモを見て話される方は一人もおらず、みんなが雄弁に語られます。「モンゴル人は語学の天才」と言われますが、「あいさつの天才」でもあるようです。

感謝状を贈られたモンゴル関係者とバヤンサンさんの記念撮影

一応のセレモニーが終わるとプロの歌手らが登場し、ウオッカを飲み干しての大宴会モードに。宴は延々と6時間に及んだそうですが、こちらは途中で失礼しました。

<県庁や公立専門学校を訪問>
翌日はバヤンサンさんの案内でオブス県庁を訪れ副知事らと面談。次いで県内唯一の公立専門学校(カレッジ)を訪問しました。ここでも日本式教育への関心の高さや、世界へ人材を送り出し、モンゴルにUターンさせようとする意欲の強さを実感しました。今年100周年を迎えるオランゴム公立カレッジは63課程を教えているそうで、韓国の学園と提携しており、韓国から教員も来ていました。

その後、バヤンサンさんと最後の会食をして話し合いました。「モンゴルはまだまだ若い国。これからオランゴムをはじめモンゴルの地方が日本のように発展してくれれば、といつも思っています。それには子どもたちの教育が基本になる。子どもたちには時間を守ることの大切さなど日本の良さを教えています。日本で、青陵で教育を受けたいと思う子どもたちは一杯います。これからも青陵との縁を大切にしたい」とバヤンサンさんは語りました。

<人口355万人と思えぬ存在感>
モンゴルの人口は355万人ほどで、それほど人口が多い国とは言えません。しかし、日本の大相撲で横綱などを輩出すると共に、日本や韓国へ数多い留学生を送り出しています。語学力に優れ、向学心に燃えるモンゴルの存在感は、人口では図れないほどです。
先月、モンゴルを訪れた花角英世知事には県内の大学から学長らが随行し、県立大学の拠点開所式も行われたそうです。日本の多くの学園がモンゴルからの留学生に注目していますが、限られた人口を奪い合うことにならないか、懸念もあります。また、モンゴルでも「優秀な人材を海外に送り出すことは良いことなのか」との疑問の声があることも現地で聞きました。
モンゴル、とりわけエフレル学校の熱い気持ちをどのように受け止め、青陵の発展に結びつけていくかーモンゴルの方の若い熱情に心を打たれながら、次の展開を考え、実践していきたいと思います。大きな刺激を受けた旅となりました。

2025年9月17日
新潟青陵学園理事長 篠田 昭