理事長室から 理事長室から

Vol.12

―レジリエンスを学ぶ―

元旦に能登半島地震発生 人口減少・少子化は「平時の危機」

遅くなりましたが、皆さま、新年明けましておめでとうございます。本年も新潟青陵学園をよろしくお願いします。

<年明けに襲った大地震>
「おめでとう」と申し上げましたが、この言葉を発することが憚られるほど、2024年は大変な年明けになってしまいました。元旦から震度7の地震が能登半島で発生し、230人を超す犠牲者が出てしまい、今も多くの方が避難所などでの厳しい生活を強いられています。新潟県内も長岡で震度6弱を記録。新潟市でも地域によっては液状化現象などで大きな被害が出、緊迫した年明けになってしまいました。青陵学園も一時はすべてのエレベーターが止まるなどの被害を受けましたが、津波警報が発令されている中、学園担当者の迅速な対応で、避難されてきた方を受け入れると共に、影響を最小限に食い止めることができました。まずは犠牲になられた方々のご冥福を祈り、被災された方々にお見舞いを申し上げます。

<動きの鈍い救援・避難>
今回の大地震は半島部の過疎地を襲ったもので、海岸線が隆起し港湾・漁港が救援物資集積基地として使えないなど、大変な状況があることは理解できます。しかし、それにしても国・県などの救援・避難支援の動きが遅すぎるのではないでしょうか。新潟県内でも2004年に中山間地を襲った中越大地震を体験しています。私は新潟市長として、長岡市などの支援に全力を挙げました。この時は川口町(当時・現在は長岡市)で今回の能登半島地震と同じ震度7を記録し、山古志村(同)などで大被害が出ました。この時は山古志村長だった長島忠美さんらのリーダーシップが発揮され、発災の2日後には2千百人を超す村民の「全村避難」を決定。自衛隊の全面協力の下、地域の名物行事「闘牛」の主役である牛たちまでヘリコプターで長岡市へ避難しました。大変に厳しい判断だったと思いますが勇気ある決断だったとも思います。

<「帰ろう山古志へ」の合言葉>
山古志の対応が素晴らしかったのは「住民力」を避難後にも発揮できるよう努めたことでした。仮設住宅の整備を前に10日後には避難村民を14集落ごとに再編成し、地域の絆が発揮されるよう態勢を整えました。さらに長島村長は「帰ろう山古志へ」を合言葉にして、「全村民の帰村」という大目標を明確にしました。それに応えて村民たちは自らの手で「安心感と協働の関係」の構築に努めます。仮設住宅では「畑の学校」や「健康農園」を営み、「山古志の暮らし」に近づけるように汗を流しました。同時に集落単位で復興計画を立て、帰村への準備を進めます。この結果、1年後に第一陣が帰村。3年2か月で全村帰村を果します。ただ、これだけの努力を払っても、いまの山古志地区の人口は千人を切っており、以前の暮らしを取り戻すことは並大抵ではありません。
長島さんは長岡との合併を果たした後、衆院議員となって地域の復興や災害支援に尽力されましたが、大地震からの心労も大きかったのか、2017年に他界されました。いま、長島さんがいればどんな助言をされるのか、思いを馳せざるを得ません。

<宮城孝・法政大教授の講演>
こんなことを年明けから考えていましたが、ありがたいことに先週の19日、法政大学現代福祉学部福祉コミュニティ学科の宮城(みやしろ)孝教授から「福祉社会のレジリエンスに向けたソーシャルイノベーション」をテーマに、青陵学園でご講演をいただき、災害時のレジリエンスを含め貴重な示唆をいただきました。この講演は、大地震前に宮城先生にお願いしたものでした。青陵学園では昨年、「2040将来ビジョン」を策定し、学園の将来目標を「ソーシャルイノベーション(社会変革)のスクエアとなる」と規定しました。
この大目標に向けての推進エンジンとも言うべき「ソーシャルイノベーションセンター」を2025年度に設置することも決め、昨秋からソーシャルイノベーションについての勉強会を学園SD・FD研修会の形で開催してきました。第1回は新川達郎・日本ソーシャルイノベーション学会代表理事から政治学からのアプロ―チでの説明をいただき、2回目は長野県立大学の大室悦賀教授からビジネス・経済面からのご講演をいただきました。今回の宮城先生は社会福祉の観点からソーシャルイノベーションについてお話いただく予定でしたが、大地震の発生を踏まえての内容を加えていただきました。宮城先生は阪神淡路大震災(1995年)を住民として体験し、2011年の東日本大震災では岩手・陸前高田市の復旧・復興支援に研究者として10年間従事された災害支援のエキスパートでもあります。

<能登半島地震で感じられたこと>
宮城先生はまず、能登半島地震のことからお話を始められました。最も印象的だったことは「今回も日本の一次避難所が過酷な環境に置かれていることだった」そうです。大きな災害の度に繰り返されるこの状況について、宮城先生は「日本の災害救助法の問題点」を指摘。「日本は被災した自治体が『救助実施都市』となることが規定されている。しかし、東日本大震災の時に陸前高田市役所が津波で流されたように、被災自治体は大打撃を受けている。救助の実施は国が主体となるべきで、『危機管理庁』(仮称)を設置すべきだ」との主張で、このことには私も市長経験者として100%同意します。
先ほど中越大地震の際、山古志の方々が帰村されるまで3年2か月と申し上げました。阪神淡路大震災では応急仮設住宅が解消されるまで5年、東日本大震災では岩手県で10年、熊本地震(2017年)は約7年かかったそうです。今回の地震でも長期の支援が必要で、「復旧・復興のステージを想定し、計画化することが求められ、その際、住民に的確な情報提供することが重要」とも述べられました。「災害は忘れたころにやってくる」時代ではなくなり、「災害は忘れぬうちにやってくる」ようになっています。それでも危機管理庁の設置など根本的な対策が実施されぬことに「政治の劣化」を感ずるのは私だけでしょうか。

<「衰退ループ」にはまり込んだ日本>
地震や水害、あるいは噴火などの自然災害は嫌でも目に入りますが、一方で「見えない危機」にも私たちは脅かされています。日本では「最大の平時の危機」とも言われるのが人口減少・少子化の進行です。宮城先生も「日本社会は超高齢化、超少子化、人口減少の『衰退ループ』にはまり込んでいる」と警鐘を鳴らしています。国立社会保障・人口問題研究所(社人研)では昨年暮れ、2020年の国勢調査を基にした将来人口推計を発表しました。
コロナ禍により少子化が加速し、昨年の出生数が70万人台にまで減少したことは既に報道されていますが、社人研の将来人口推計もやはり衝撃的な内容でした。「2025年からは人口減少が加速し、年間平均75万人程度減少し、2056年には日本の人口は1億人を割る」というものです。新潟県人口も2020年の220万人台から2040年には20%以上減少して175万人台になる推計です。新潟市の人口も14%程度減る予測ですが、新潟県内では人口がほぼ半減する予測が出ている町村もあるので、危機の進行度合いにはかなり差がある〝まだら模様〟のようです。

<「福祉社会のレジリエンス」とは>
宮城先生は「衰退ループから脱するカギはレジリエンスにある」と言われます。「レジリエンス」という言葉はまだあまり耳慣れないかもしれません。「国土強靭化」などの施策説明の際に、「レジリエンス」という言葉が時折使われていました。宮城先生はレジリエンスについて「復元力」「弾力性」「再起性」などの訳を当て、「今、はまり込んでいる『衰退ループ』から抜け出し、レジリエンスを機能させるために、幅広い社会認識と価値観の転換を図り、福祉社会としてのシステムを再構築する必要がある。それも短・中期的なものではなく、21世紀後半までを見据えた長期スパンを射程とすべき」と話されました。その際に重要となるのが「ソーシャルイノベーション」で、宮城先生はこの言葉を「社会的課題解決に取り組む社会的営為を通して、新しい社会的価値を創出し、経済的・社会的成果をもたらす革新」と定義されました。

<7つの社会的課題>
そして、「ソーシャルイノベーションが求められる社会的課題」として以下の7分野を挙げられました。ちょっと意訳になりますが①子育ての包括的社会化②政策決定過程における女性の意思決定の最大化③若者へのベーシック・サービスとセカンドチャンスの保障④外国人が「働きたい国」から「住みたい国」と思える日本への転換⑤子育て世代の地方への定住分散化⑥多死社会における自己表現としての「死の文化」の普及⑦福祉社会の基盤を支えるヒューマンサービスにおけるマンパワーの拡充―となります。

<社会的孤立が拡大・深刻化>
いずれも大変に重いテーマですが、宮城先生はこれらの問題が発生した要因・背景について、「新自由主義による『自助の強調』による問題の広がりと潜在化」を挙げ、「社会的孤立が拡大し、深刻化している」と指摘。その具体事例として不登校・引きこもり・DV・自殺・孤独死の増加などを挙げました。

<不登校も全国で急増>
確かに超少子化時代にあって小中学生の不登校は急増しています。新潟市では2020年度の不登校数が1千2百人程度だったのが2022年度には2千人近くに増加。「今年度も20%程度増加しているし、それと同程度、あるいはそれ以上の予備軍(保健室登校など)がいる」と語る先生もいます。新潟市の不登校率は「政令市で中位程度」とのことで、全国の不登校者は2022年度で30万人に近づいています。

<地域社会のレジリエンス(再生)に向けて>
いま、「衰退ループ」にはまり込んでいる日本ではソーシャルイノベーション・ソーシャルワークを強化し、「アフターコロナ時代における地域社会のレジリエンス(再生)に向けての取り組みが重要である」ことを再認識させられる宮城先生のお話でした。「多くの人々が感じた『生きづらさ』の思いを『共感のパワー』として、新たな取り組みや協働の関係性に転換できるかがカギ」と宮城先生は話を締めくくられました。
新潟青陵学園が目指す「ソーシャルイノベーション」の取り組み対象は多様であることを確認すると共に、地域や企業・各種団体との「協働の重要性」を実感した講演となりました。青陵学園では近く「ソーシャルイノベーションセンター」検討へワーキングチームを発足させ、青陵らしい社会変革のセンターを2025年度には開設し、「青陵学園がソーシャルイノベーションのスクエア」となるよう着実に歩を進めていきます。これからもご助言をお願いします。

2024年1月24日
新潟青陵学園理事長 篠田 昭